霊験譚(れいげんたん)

安産・子授け

 昔から、妊婦は「浪打八幡さんの玉垣にもたれてお産をせよ」と言われるほどで、新しい腹帯を持参して祈願するものが多い。また、どうしても子供に恵まれない夫婦が裸足参りをして願をかけたところ、その徴があり、男児を得て「浪」に因んだ名前を付けた例もある。出産の年齢と産み月によっては「返死除け」の安産祈願が行われる。また、子供の夜泣きや勘虫封じにも霊験が顕著であると言われる。
 なお志々島の十握(とっか)神社も安産の神で、妊婦の参詣が多い。神功(じんぐう)皇后が西征の帰途この島に泊し、十握の剣を神璽(しんじ・ご神体)として残されたのが、十握社と「志々」(しんじの転)の由来だと伝えている。(「西讃府志」)

海賊浪打八幡宮の梵鐘を盗むこと

 永禄の頃、国の内が乱れ世情不安であった時、白方セキ、ヒビセキという海賊がいて、浪打宮本地堂の弥陀三尊と梵鐘を盗んだが、舟で逃げる途中鐘は、高谷岬の沖の岩嶋に沈んでしまった。そこでその嶋を鐘つき嶋と呼んだ。その時代ここを舟が通ると海底から鐘の鳴る音が聞こえたと伝えている。(天文年間棟札裏書き)

毒蛇除けのこと

 昔橘氏の代参を務めた吉津村の山本外記太郎というものの妻が毒蛇に咬まれ即死した。驚いた外記太郎が急ぎ、浪打八幡宮に祈願したところ微かなお声で「汝の妻は八幡宮に住する鳩を食べた故である。この符をいただかせばたちまち生き返るであろう。」と毒蛇除けの符寶(守札)について御託宣があり、この符寶によって妻は蘇生し、以後詫間庄の氏子は一切毒蛇の害に遭わなかったという。天保五年(一八三四)秋山惟恭著『讃岐神社考』にも「此地蛟蝮の類を生ぜず、他より持ち来たるも忽ち死す・この神の憎む所なり。今猶然り」とある。古老の話によると、この符寶を宇多津の某社に譲ってから蝮の類が住むようになったという。

霊夢による神示

 明治の頃、神田の某女性は病に罹り高熱に苦しんでいたが、ある晩八幡宮の神札を祀ってある神棚から緋の袴姿の多勢の女官が次々と自分の体の中に入ってくる悪夢を見た。翌朝目覚めると熱は下がっており、病は突然に癒えたという。