建造物及び所蔵物

浪打八幡宮の建造物
本殿
 流れ造り三間社唐破風付き檜皮葺。平成15年銅板葺替。室町中期足利義政治世の文明3年(1471)上棟の棟札が現存するので五百余年にわたり火災等は無かったと思われるが、徳川初期万治3年(1660)再建の可能性もある。文明の棟札には惣官橘景村、本願惣官代藤原義村、大工藤原行宗の銘がある。随身門と共に県下有数の歴史的建築である。
 ※現在の本殿は平成22年に新築


幣殿・拝殿・釣殿(神饌殿)
 三殿ともに天明2年、大正4年に再建。いずれも本瓦葺、拝殿は千鳥破風付き。
 ※現在の幣殿・拝殿・釣殿は平成22年に新築


随身門
 寛永9年(1632)、正徳3年(1713)建立の記録があるが、現存のものは約250年前の宝暦5年(1755)再建のものと思われる。
 総欅造りで放射状二段の扇垂木は一本ずつ全て異なる角度に削り分けられており本瓦葺の屋根と相まって重厚優美である。昭和58年まで数次の部分葺替え等。平成15年前面葺替え

随身像
 神前を守る門守りの神で、向かって右が奇岩間戸(くしいわまど)、左が豊岩間戸(とよいわまど)の神。本殿内々陣に一対、随身門内に一対奉安。ともに寄せ木造り。後者は寛永または正徳のものと思われ、彩色の剥落と蝕害が著しく、平成16年新浜徳重家より新たに一対が造立寄進された。

氏子会館
 昭和30年建立。高床式吹抜天井など古代の伝統的形式を踏襲しつつ鉄筋コンクリートによる近代的建築とした。社務所のほか、結婚式場、諸会議、講義場として広く氏子中に活用されている。趣旨と建築様式において県内外神社の先行見本となった。

神輿殿
 昭和60年、旧神輿殿(享保21年造営)老朽化のため拝殿東側に新築。昭和天皇御在位60年記念事業として建立。


透塀
 同じく昭和60年、神輿殿と合わせて再建。

参集殿
 平成5年、旧参集殿が倒木により損壊したため再建。祭礼時の参集場所、直会所のほか結婚式等諸祭儀場をかねる。


手水社
 平成6年、的場氏子矢野家による寄進。

祓殿
 修祓殿とも。平成15年浪打八幡宮御鎮座一阡四百年記念事業の一つとして旧神輿殿跡に新築。諸祭儀の修祓場、神輿奉安所、雨天獅子舞場ともなる。


浪打八幡宮の所蔵物
狛犬
 境内に計六対ある木彫りのものは本殿内陣と随身門中の二対。前者がより古形でおそらく江戸初期以前、後者は寛政9年(1797)観音寺下市浦、林田利助、那珂郡田岡重三郎ほかの奉納。寄木造りで彩色は剥落しているが、力感に溢れる優れた彫琢である。拝殿前の石造のものは天保12年(1841)丸亀藩士佐野善兵衛光義の寄進。随身門下のものは昭和代曽根長治郎夫妻の寄進。


鳥居
 三基共に石造明神鳥居で、下方の参道上のものが古く、元禄16年(1703)癸羊11月の建立。吉津中邑比地仁尾詫間惣氏子中、大願主中野四郎兵衛尉光忠、別當檢校理厳、石工泉州矢野孫兵衛等の刻銘がある。中野四郎兵衛は丸亀藩の普請奉行という説がある。塩田開拓団は赤穂藩浅野家の藩士と言われ、浅野家廃絶、前半元禄15年の四十七士討入りの頃詫間に招かれ塩田開拓に携わったと思われる。この鳥居は塩田築造成就を祈願して着工時に浪打八幡宮に奉納したものである。大正鳥居は神田の安藤馨氏の奉納。
 平成14年建立の大鳥居は御鎮座一阡四百年を記念して奉納建立されたものである。なお、手水舎前の注連柱は本村氏子前川長蔵氏の寄進である。


神輿
 元弘3年(1333)建武新政が成り讃岐より京都に還御された後醍醐天皇の皇子宗良親王より寄進されたものが原型であり、四角六角八角の三体。徳川二代秀忠治世の元和6年(1620)と八代吉宗の享保8年(1723)造営の標札がある。


梵鐘
 寛文12年(1672)五箇村氏子中より奉納。「奉鑄冶浪打八幡宮御宝前衛鐘」の銘があり社人助右門 別當英遍 鑄冶奉行則包藤兵衛 鑄物師大阪仏具屋久左衛門などの刻銘がある。

鐘擣堂
 寛文13年(1673)京極高豊公建立寄進、129年後の享保2年(1802)再建。明治のはじめ頃まで社領内の中郷神田間の山稜尾根にあったが神宮寺廃寺と同時に字五佛の新川観音堂近くに移されている。

燈籠・漱水盤
 石燈籠は小林惣四郎他寄進のもの、吉津武田與次右エ門他による文化年間のものなど新旧七対。忠魂社のものは田井出身の磯崎忠氏の奉献。手水石盤は安永、文化年間各一基とお幣(はけ)井戸傍らにある自然石のもの一基。浪打宮への神饌を清めるお幣井戸は、町内各地のほか仁尾の梅花池や吉津新延家旧邸内など各地に残っている。又宮の下本田屋敷跡の石井家内には寶壽院時代の角井戸が存在する。

玉垣
 本殿拝殿の三方を囲むものは寛政から享保に建立されたもので、吉津三木武七、比地前川利兵衛、比地中村石井與八、仁保(尾)塩田又兵衛、詫間町内松田、横山氏、若氏子中、女氏子中など五箇村の多数の氏子の他松崎邑多尾兵蔵、丸亀の幾多屋太平、横関平八郎為久、又金比羅三原屋友八などの名も見える。
 石段両側と随身門前の玉垣は大正4年建立のもので多くの屋号や氏子名から、池尻より須田に至る当時の町内の状況が推測される。

絵馬・扁額等
 拝殿の奔馬絵馬額は京極家五代高中公寄進のもの。他に江戸中期と思われる三十六歌仙図、司馬光図、松岳筆の武者絵、浮世絵師一勇斉芳寅筆の役者絵など約十点。
 他に随身門と拝殿の社号額、句会による俳句額、日本書紀の墨書額などがある。この他にも数百年前のものと思われる矢立と矢、神刀や弓、薙刀、神楽面などの収蔵品がある。

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